2015年12月30日

元旦稽古の思い出

さぁ、いよいよ明後日は

元旦稽古で石狩浜に行きます。


さて、極真会館北海道本部のHPにある

元旦稽古の案内に記載に

一部間違いがあったので

この場で修正します。


 ※天候があまりにひどい場合は中止となります。

とありますが、どんなにひどくても

絶対にやめることはありません!!


では、過去の元旦稽古で起こった

酷い小話を少々。


いっとき、元旦稽古は

僕の仕切りでやっていました。


僕が、某運送会社にいるときの

十月くらいになると、

決まって高岡先輩にメールをして、

黒田先輩にメールをして、

廣富先輩に電話して、

山本先輩にメールして

遊佐にメールをして

元旦稽古に行っていました。


そもそも、極真会館北海道本部の

一年のうち一番最初の行事で

まだ北大前に道場があったときは、

そこからバスに乗って、

北海道神宮に道着姿と裸足で参拝。


参道の玉砂利が、凍傷になった足の裏を襲い

足の裏がとても痛い。


参拝所の最前列に整列し、

全員で、二礼、二拍、一礼をしてから

基本稽古。


この時の一番の思い出は

二十年前の神宮入り口での出来事。


毎年、参拝を終わらせてからバスまで行くのに、

なかなかバスが良い位置に停まらずに

参道を戻ってきて鳥居を出てから

しばらく歩いてバスに乗るんだけど、

この時、澤田先輩が警察の

バス移動目入れをのらりくらり交わして、

鳥居前のベストポジションに着けたことが

一度だけあった。


その時、廣富先輩が一言

「さっさん、今年最初で最後の大活躍だな」


寒いのがダメな廣富先輩は、

毎年、バスに乗るまで遠いと

澤田先輩に

「さっさん、バスどこまで行ってんだ」

と、怒っている記憶しかない( ;∀;)


バスに乗りと、

バスの床の温かさで、

足の裏の凍傷が溶け出し

痛いような痒いような・・・


それからバスに揺られて石狩浜へ。


石狩浜では、

猛吹雪で前が見えないこともあったし、

今のように、番屋の湯なんかなかったし

海から上がってきたら

バスの中で着替えたしね。


まだペットボトルなんか無い時代だから

海から上がって、

歯はガチガチ、

手はかじかんでズボンの紐をほどけず、

バスタオル何枚にも包まって

ようやっと着替えたころには道場に到着みたいな。


三十年位前だったかな。


北大前の道場に着いたら、

甘酒とお汁粉があったの。


だから、甘酒を飲むと

その工程が思い出される。


石狩浜は、最近は雪が少ないが

十三年くらい前かな?


これでもかってくらいの

雪山を乗り越えて海岸に行き、

海水の冷たさでふくらはぎが硬直して

バレリーナのようにしか歩けない時もありました。


また、十年位前のこと


本部道場の上のマンションに

僕や遊佐が住んでいたころ、

遊佐と二人で石狩浜に先着して

海岸の状況の下見をしたんだけど、

その年は石狩湾近辺で海外の船が座礁して

重油まみれってニュースでやっていた年。


そのせいか、どのせいかわからないけど、

海岸に着くと、海にぷかぷかと猫が死んで浮いてた。


たまたま、僕がいなかった年には、

海岸に死んだイルカが落ちていたのを

楽しそうに写真に納まっている某先輩がいた。


このときらへんは、

道場の行事でもなかったし、

昔行事でやっていたことを継続したい有志があつまり

五人とか十人くらいでこじんまりやっていたこともあった。


その数年後、師範代にHPに載せてもらうようになってから

何十人と人数が増えていった。


いまでは、自由参加とはいえ行事化されているが

その時も、僕たちは継続しているし

多くの人は、こういう時を知らいない。


また、裏話では、

元旦の石狩浜では

鬼軍曹の近くに寄るな。


そうです、

遊佐も、篤史も、光もみんな、

後ろから羽交い絞めにして

海の中にぶん投げてやってます。


僕の近くに寄った人は獲物と思って

誰彼構わず沈めます。


もう、そんな体力がありませんが・・・



ここ十年位の間に、

石狩浜の帰りは番屋の湯に入るのが

定番になっているのだが、

冷え切った体はじっくりお湯に浸かっても

温まらないし、びりびり痺れている。


番屋の湯も、極真会館北海道本部が

この時期行事に来ることはわかっている。


その理由はほかでもない、

安藤さんが引き起こした「あれ」のせいで・・・


ここ十年くらいは、

みなさんペットボトルにお湯を入れて

温めながら砂を流す技が定着しています。


番屋の湯に行き始めたころも同様。


みんな、ある程度きれいに砂を落として

番屋の湯に入っていくんだけど、

安藤さんは、まるでグダグダの少年部のように

クタクタの道着姿と

砂だらけの足のままで

館内を歩いてしまったもんだから

番屋の湯の人たちも

元旦は入り口にタオルを敷いてくれたり

雑巾を貸してくれたり

入り口横の蛇口で砂を流せるようにしてくれたり

われわれに気遣いをしてくれる。


ここ数年の参加者から

「さむい〜」という声を聴くが

まだまだ寒かった年はいっぱいあるし、

番屋の湯があったり、雪の量が少なかったり

わき合い合いとしたイベント的な参加も

昔の元旦稽古を経験した人からすると、

ぬるくなったと思う


だって、僕が経験したのは、

海に入る前か後に、

おなじみの、雪泳をさせられた。

その冷え切った体のまま

海の中で組手をやったんだ。

だから少し位、雪が横向きに降って

息できないくらいの風があったって

どうってことない。


かなり、話を戻しますが、

だから、HPで記載されている

 ※天候があまりにひどい場合は中止となります。

この情報は間違い。


絶対にやります!!!


参加者は、覚悟して参加してください。


最後に、明後日の元旦稽古は

HBCテレビ、道新、読売の各マスコミが

取材に来る予定になっています。


テレビでは

2016年の抱負をインタビューしたいと言っていましたので

無茶振りされてもいいように、

来年の抱負を考えておいてください!!



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posted by 鬼軍曹 at 19:34| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

合宿の思い出A

前回の時に書きましたが、

今回は幹部合宿について少し書きましょう。


幹部合宿は、

北海道で黒帯を取るためには

避けて通ることができない合宿。


いまでこそ無くなってしまいましたが、

幹部合宿を経験したほとんどの人が

何で無くなったの?

と、疑問視するような

貴重な体験ができる合宿でした。


歴代の北海道チャンピオン達も

例外なく、この合宿では

散々な目にあって鍛えて黒帯を勝ち取りました。


当時、黒帯を取るためには

昇段審査を受けなければならない中、

この合宿に参加していなければ

絶対に黒帯はもらえなかった

重要な合宿でした。


極真会館北海道本部の昇段審査は

世界一厳しいと言われていたのは、

この合宿も込みで

考えていたからかもしれませんね。


ちなみに、僕の先輩たちの昇段審査は

話を聞くだけで「ゾッと」するような

過酷な昇段審査。


今と違って、

サポーターなんてつけることが許されず、

一般無差別同様に、素手素足での組手。


また、受審者全員でスパーリングのように

何周もラウンドを回されてから

元立ちの連続組手開始。


今のように

初段は十人とか

二段は二十人とか関係なく、

高木師範が納得するまで

何十人も連続で組手をやらされていた

やっていたそうです。


前にも紹介した

北海道の若大将という先輩は

一回目は三十何人、

二回目は二十何人と

とても厳しい昇段審査だったのが

想像できます。
img_35066_10552337_0.jpg
ここから探してください


そして、この時代の先輩たちと

昇段審査の話になると、

「俺は三回受けた」「自分は二回です」など、

昇段審査を受けた回数の話になります。


某警察の先輩は、笑いながら言ってました。

「俺は昇段審査を六回受けたんだ。

最多記録だぞ」(-_-)


当時は、なかなか黒帯を許してもらうことが

出来なかったようです。


ちなみに、僕の昇段審査の回数は・・・


先輩たちに怒られるから言えません(^o^)


だけど、幹部合宿のメニューは

きっちりやりました。
004.JPG
雪中サッカー中に行われた成人式

006.JPG
立禅


018.JPG
懐かしのピンクバス

極真会館北海道本部所有のピンクバス。

フロントガラスの奥に

高岡先輩の姿が・・・

左には、村元愛一郎氏

右には国枝氏


さて、幹部合宿の話だったね。


初日にやった筆禅は意外ときつかったな。


筆禅とは、A3サイズの紙を

八等分にして、
 
そこの二マスに道場訓をびっちり書き

二マスに書き終わると拳立てを50回やるのを

延々と二時間くらいやります。


そして、先日書いた座禅。


二日目のメインイベントは

黒岳でやる立禅


黒岳までのバスの中、

茶帯たちは、運転する先輩への激励と

自己紹介を兼ねて歌を歌います。


深川から、黒岳までの何時間も延々と・・・


黒岳に着くと、

リフトとロープウェイで山頂に向かって登っていきます。

が、手には、スキーやストックではなく

棒の型で使う棒を握りしめて。


リフトとロープウェイを降りると、

それまで着ていたスキーウエアやダウンを脱ぎ

道着一枚で少々上ります。


自分の立ち位置が決まったら

棒を自分の後ろにさして

師範の号令で立禅スタート。


どんなに強風だろうと

深々と雪が降っていようと

不動立ちから動くことは許されません。


僕の時は歴代寒かった時で、

棒を握って登っている最中から

指の関節が凍傷になり、

立禅が始まると

瞬間で耳が凍傷になりました。


凍傷になったあとの耳は、

夜までに、水膨れとなり

ダンボの耳のようになりましたが、

高岡先輩が、針を消毒しつつ、

一人一人丁寧に水膨れの治療をしていました。


二日目の夜のイベント第一弾は

火渡りです。


二メーターから三メーターくらい掘って

そこに、試割で割った板を並べたところに

火をつけて、そこを歩く拷問修行


火力は、横から澤田先輩が

灯油のスポイトで灯油をビュービュー入れてる。


極め付けは、あっちの端と

こっちの端から中央で

火渡りじゃんけん。


勝つまで火渡りは終わりません。


そして、夜のカラオケ大会。


深川青年の家の上にあるスキー場で

一列に並び、

段ボールを敷いて雪中座禅。


そこから、100メーターくらい

ひざ上の新雪を

一本の棒を目指しダッシュします。


一本の棒にたどり着くと、

大きい声で歌を歌います。


座禅の列の後ろにいる

高木師範のOKが出るまで

何回でも歌わされる。


三日目は雪中サッカーなので割愛する。


合宿の楽しみの一つでもある食事だが、

ここ数年の合宿で全くできていないので

僕が口を酸っぱく言っているが、

ドラマで見る、

ヤクザの偉い人の

後ろに立っている人を思い出してほしい。


黒帯を目指す茶帯や

一般の合宿では

班長をやるような茶帯や緑帯は

師範や指導員の後ろに立って、

ごはんが半分くらいなくなったあ

「御代わりいかがですか?」

とお世話をしなくてはならない。


読者のみなさんが、

店員さんの対応に満足されるような

飲食店を思い出してもらえると

わかりやすいと思う。


また、居室では、

お布団の上げ下げもだし、

茶帯(緑帯)が班長でありながら

班員を纏め、指導員の

お世話をしなければならない

大変なポジションなのである。


正直言うと、

これは、赤石も経験していないから

自発的に動いてできないと思うし、

幹部合宿の存在が薄れてきたころ以降の

黒帯は、こういうことを

経験していないがために

後輩に伝えることもできないと思う。


昔と違って、今おかれている現状で・・・

と、遊佐は優しい声をかけてくれるし、

自分も仕方ないと思う部分もあるけど、

外しちゃいけないことを、

最近の合宿や、最近の黒帯たちは

外しているような気がする。


外しているというより

知らないから出来ないのだと思う。


若い黒帯たちに伝えていきたいが、

合宿でしか伝えていく場はないし、

そこに来てくれなければ、スタート地点にも立てない。


自分に後輩ができて

今まで作り上げてきたことが

自分にやってもらえなかったら、

自分が教えていくことができなかったとしたら

どう感じるのだろうね。


ある友好団体の先生が

自分と同じことを言われていた。


「私がお弁当を食べ終わった時に

横にいた黒帯レベルの子が、

先生お弁当のゴミをいただきますと

いうことができなくて

ぶち切れしたんです。

そもそも、合宿とかでやっているはずなのに」と。


特に最近の子たちは

その手の指導をすると、

陰で文句を言っているようなのでけど、

きちんと聞こえてくる。


高木師範が、

うちは未成年に黒帯を出さないといっていたのは

こういう所にあるんだと納得できる。


自分でさえ、

思春期の反抗期に

稽古中にカチンとくることを言われたことが

何度もあったけど、

空手の先生に切れたことや文句を言ったことは

一度もない。

態度には出ていたかもしれないけど。


その感情を抑えられて

コントロールできるから

帯も上級者として認められる。


自分も、先輩たちも

みんなの成長をずっと見ているし、

茶帯として、黒帯としての適格者なのか

ずっと見ている。


誰に見られてもはずかしくない

上級の帯の人になってもらいたい。


合宿では、

僕は芸能記者のように

隅々まで見ているよ・・・





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posted by 鬼軍曹 at 18:49| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

合宿の思い出

合宿に行くときに

親御さんが

お迎えに来てくれるのが

当たり前になっている時代なんだけど

羨ましい反面過保護ですね。


時代が違うのは仕方ないけど

僕の時は

体と同じくらいのバックを持って

地下鉄を降りてテクテク歩いて、

今回の合宿では

何が起こるのかわくわくして歩いていました。


合宿では、いろんな支部のやつが

本部に集まり、

バスに揺られて合宿地へ移動していた。


前には、夏合宿の話を書いたので

今回は冬合宿の思い出の話にしよう。


僕が初めて冬合宿に出たのは

小学五年生の時、

砂川青年の家で行われた合宿でした。


当時の合宿は、

クリスマス後の26〜28日とかに

合宿が行われ

班長達も大学生中心でした。

当時の極真会館北海道本部の茶帯で

冬合宿に参加していた人たちで、

今考えても、すごい人がいた。



現在M派のロサンゼルス支部長の中坂先輩。

テレビにも出ていた藤部先輩

北海道大会で上位になった川上先輩

札学の中川先輩や川俣先輩

高校生大会でも強かった高林先輩


僕的にはそうそうたるメンバーが

班長として仕切っている

過酷な合宿だった気がする。


冬合宿の三大嫌なことは

座禅、早朝ランニング、雪中サッカー


座禅は、砂川も深川も今の施設と違って

隙間風がビュービュー入ってきて

座禅もかなり寒い。


それまではまだ良い。


問題は早朝ランニング


今はジャンバーとか着せて走らせているけど、

僕らが少年部の時は

靴下のみ・・・(ー_ー)


座禅といえば、

幹部合宿の座禅も思い出深い。


深川青年の家からバスに乗り

深川神社まで移動するんだけど、

神社の広間でジャンバーと

靴下を脱ぐんだけど、

そこの床がピータイルで

足の裏がつるつる。


座禅は神社の境内でするんだけど、

境内の扉を開けて

賽銭箱を外に出して

外の気温と変わらない中で

座禅をするんだけど、

かなり寒い。


一月十日前後の深川の朝の気温は

マイナス15度くらい。


有名な話では、

当時の函館支部のK支部長の

鼻水がつららになった((+_+))


僕は職員だったので

カメラマンの仕事があったんだけど

写真を撮るために歩くのに

体に感じる風圧が寒すぎる。


座禅を組んでじっとしているのが

寒くない。


そして、座禅中は明かりが消されるんだけど、

座禅を始めて約一時間後

高木師範が背中に喝の竹刀でたたきに来るんだけど、

高木師範の竹刀は、超痛い。

竹刀が始まるときに、境内の電気が点けられる。


境内の電気は、

ドラマに出てくるような昔の電球


でも、あの電気が点いた瞬間に

とても暖かく感じる。


たかだか裸電球で、

まるで太陽に照らされているような

錯覚を起こすくらい暖かい。


話をもとに戻します。


雪中サッカーも最強に辛い。


少年部はスキーウエアとか着ているんだけど

中学生以上の一般部は道着一枚


僕が小学六年生の時、

高木師範に指名され

一般部と一緒に、道着一枚で外に出され

足場慣らしのためにダッシュ大会


それからサッカーが始まる。


サッカー中盤に高木師範の一言


「お前たち暑くなっただろ!脱げ」


そうです。上半身裸になってのサッカー


ここまでは、よくありそうな話だが

サッカーが終わると、負けたチームとか

勝ったチームとか何かと理由を付けて

雪泳が始まります。


砂川青年の家では

チューブ滑りの坂があるんだけど

その坂の上から文字通り

雪の中を泳ぐんです。


今やったら通報されそうだけど、

何か一個、今回の合宿でやろうかな〜(独り言)


次回、冬合宿の中でも一番厳しかった

幹部合宿の話を書きましょう。



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posted by 鬼軍曹 at 17:51| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする